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岡山地方裁判所 平成5年(行ウ)7号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

清水善朗

石田正也

佐藤知健

山本勝敏

被告

地方公務員災害補償基金岡山県支部長石井正弘

右訴訟代理人弁護士

塚本義政

甲元恒也

右塚本及び甲元訴訟復代理人弁護士

佐藤洋子

主文

一  被告が原告に対して平成3年1月21日付けでした甲野太郎の心筋梗塞による死亡につき公務外の災害であるとする決定を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

本件は,岡山県倉敷市役所に勤務する甲野太郎(以下「甲野」という。)が心筋梗塞により死亡したことにつき,その配偶者である原告が,右の災害は公務に起因するものであるとして,被告が平成3年1月21日付けでした公務外の災害であるとする決定(以下「本件処分」という。)の取消しを求めるものである。

第一(ママ)事案の概要

一  争いのない事実及び証拠(弁論の全趣旨を含む。)により容易に認められる事実

1  甲野の職歴及び死亡

甲野は,昭和22年9月19日出生の男子であり,九州産業大学工学部卒業後昭和47年4月1日に倉敷市役所に技術職員として採用され,以来同年5月1日から昭和51年9月31日まで建設局土木部土木課に,同年10月1日から昭和56年3月31日まで建設局管理部施設課に,昭和56年4月1日から昭和59年3月31日まで児島支所工務課にそれぞれ所属勤務し,同年4月1日から昭和62年3月31日まで岡山県に岡山地方振興局児島湖流域浄水事務所工務課主任として出向勤務し,同年4月1日から再び倉敷市役所に復帰し,下水道局下水建設部建設一課に所属し,下水管きょ一係長として勤務していた者であるが,平成元年11月24日午後11時30分ころ発症した急性心筋梗塞のため翌25日午前4時ころ死亡した。

(〈証拠略〉,原告本人の尋問結果)

2  本件処分並びに審査及び再審査と本件処分の理由

(一) 本件処分並びに審査及び再審査

原告は,亡甲野の配偶者(昭和49年2月婚姻)であるが,同人の心筋梗塞による死亡が公務上の災害に該当するとして,被告に対し,地方公務員災害補償法(昭和42年法律第121号)(以下「法」という。)45条に基づき,公務災害の認定請求を行ったところ,被告は,平成3年1月21日付けで本件処分をした。原告は,これを不服として,地方公務員災害補償基金岡山県支部審査会に対して審査請求したが,同年12月11日審査請求を棄却され,さらに,地方公務員災害補償基金審査会に対して再審査を請求したが,平成4年12月2日付で再審査請求を棄却され,平成5年1月13日付けで右裁決書謄本の送付を受け,平成5年3月23日本件訴えを提起した。

(二) 本件処分の理由

本件処分の理由は,被告の主張する公務起因性の認定基準(その内容は,後記三争点1被告主張(一)記載のとおりである。)に従い,甲野が死亡前4週間内特に死亡当日,前日及び前1週間内に通常の業務に従事しており,公務が過重であったとは認められない上,その間業務に関連する異常な出来事にも遭遇していない,他方,同人が死亡の原因である急性心筋梗塞にとって高度の危険・促進因子である高血圧症,高脂血症及び高尿酸血症に罹患していたことから,公務と急性心筋梗塞による死亡との間に相当因果関係がないというものである。

(〈証拠略〉)

3  甲野の従事した公務の内容及び状況

(一) 岡山地方振興局児島湖流域浄水事務所勤務

甲野は,昭和59年4月から3年間岡山県に出向し,岡山地方振興局児島湖流域浄水事務所工務課に勤務し,岡山県が昭和53年から推進してきた大型プロジェクトの一つである児島湖流域浄水事業における下水管の埋設工事を担当した。右の事業は,児島湖の水質浄化及び児島湖流域における下水道の普及を目的とするものであり,岡山市,倉敷市,玉野市,児島郡灘崎町及び都窪郡早島町のうち約1万8800ヘクタールの土地に総延長約24.7キロメートルに及ぶ3本の幹線管渠を埋設して下水を集めるという大規模な計画であり,同事務所における重要課題に位置付けられていたものである。

(二) 倉敷市下水道局下水建設部建設一課勤務

甲野は,昭和62年4月倉敷市に復帰した後も,死亡するまでの約2年8月間建設一課の管きょ一係長として,引き続き下水道事業を担当した。建設一課は,下水道管の埋設工事を担当する部署であり,その設計積算と施工監理が主要な業務であった。四係で倉敷地区,水島地区,児島地区及び玉島地区を分掌し,甲野の所属する一係は,倉敷地区及び児島地区を担当し,係長1名,主任1名,技師5名の人員で構成されていた。

当時,倉敷市は,下水道普及率が全国平均に比べ低率であるため(平成元年3月末日現在全国平均40.0パーセントに対し倉敷市は20.4パーセントであった。),市民の要望に応え,下水道整備事業を市の最重点施策の一つに位置付け,昭和61年度を初年度とする第6次下水道整備5か年計画を推進していた。このために投入される建設費は,昭和61年度に77億2459万円であったものが平成元年度は92億7774万円に増大し,下水道普及率も年々向上した。ちなみに,倉敷地区における下水道整備面積は,昭和62年度242ヘクタール(2.5パーセント),昭和63年度284ヘクタール(2.9パーセント),平成元年度352ヘクタール(3.6パーセント)と拡大していった。

(〈証拠略〉)

4  心筋梗塞の概念及び発生機序とその危険・促進因子

(一) 心筋梗塞の概念及び発生機序

心筋梗塞は,虚血性心疾患の一つであるが,一般的に心臓の冠状動脈の閉塞によって血流が途絶するためその支配領域下の心臓筋肉が酸素不足となり,壊死を引き起こす結果心臓停止に至る疾患をいい,症状としては,〈1〉胸痛・胸部圧迫感,〈2〉呼吸困難,〈3〉胃腸症状(吐き気,嘔吐),〈4〉ショック(冷汗・意識障害など)が起こるものである。このうち,胸部圧迫感にあっては,死を思わせるような強い圧迫感を訴えることが少なくない。また,心筋梗塞は,その発症から死亡までの期間が非常に短時間であるという特徴がある。

心筋梗塞の発生機序については,医学的には未解明な点が多いものの,心臓の冠状動脈硬化が原因となっているとされる。すなわち,主に冠状動脈内膜に脂肪分や石灰分の沈着を伴う繊維と細胞の増殖によって粥腫が形成され,この粥腫により冠動脈の内腔が狭窄されると,冠状動脈に粥状硬化症が起って,血流が減少し,そこへ動脈内膜の損傷又は粥状硬化部分の破裂が起こると,その出血部分に血小板が集まって血栓を形成して血管の塞栓を生じる結果,血流が途絶するため,冠状動脈によって栄養を供給されている心臓筋肉が酸素不足により壊死に至るとされている。

(二) 心筋梗塞の危険・促進因子

心筋梗塞の発症及び増悪の危険・促進因子は,心筋梗塞が冠動脈の動脈硬化によって発症するものであるため,動脈硬化を促進させる因子が危険・促進因子であり,高血圧症(最高血圧値及び最低血圧値の双方又はその一方が最高血圧値については160mmHg以上,最低血圧値については95mmHg以上である状態をいう。),高脂血症(血液中の脂質成分,すなわち,コレステロール,中性脂肪(トリグリセライド)及びリン脂質(PL)のうち,いずれかの成分が異常に増加した状態をいう。),高尿酸血症(尿酸が血中で異常高値になった状態をいう。),糖尿病等がその基礎疾患とされるとともに,右の基礎疾患と並んで生活習慣としての運動不足,肥満,睡眠不足,喫煙等が,遺伝的素因としての家族病歴,性格等が危険・促進因子として挙げられている。なお,右の基礎疾患の保有から心筋梗塞の発症までは通例長期にわたる経過があることが多いとされている。

(〈証拠略〉)

5  甲野の受診治療歴及び発症から死亡に至る経緯と病理解剖所見

(一) 甲野の受診・治療歴及び発症から死亡に至る経緯

甲野は,昭和53年5月9日から平成元年11月25日までの期間,倉敷中央病院,倉敷平成病院(旧高尾内科小児科医院,旧高尾病院),水島協同病院等で失神発作を初めとし,高血圧症,高脂血症,高尿酸血症,心肥大,脂肪肝などの病名で月に2,3回の頻度で継続的に診療治療を受けており,その詳細は,別紙診療データー一覧表(略)記載のとおりである。

甲野は,平成元年11月24日午後11時30分ころ,仕事から車で帰宅する途中,胸をしめつけるような痛みに襲われ,翌25日午前0時ころ倉敷市内の水島協同病院で救急患者として受診した。その際,担当医に対し,車を運転している途中,来院30分前より胸がしめつけられるような痛みを覚えた,過去に同様の痛みを自覚しているが,運動後,4,5分位持続して消失していた,不整脈を指摘されていたが,服薬は勧められていなかった旨告げた。その際,甲野は,胸部と肩から上にかけて痛みを訴え,前屈でうずくまるような姿勢をとっていた。担当医の診察所見では,胸腹部の理学所見上は異常がなく,神経学的な異常も認められなかったが,血圧最高162mmHg,最低110mmHg,心電図上ST上昇,期外収縮を認め,心筋梗塞の疑いのために直ちに入院となった。甲野は,救急室で応急処置を受けた後,病棟へ移されたが,病棟到着後,突然,心停止,呼吸停止,意識消失となり,緊急蘇生術を施術するも改善せず,同日午前4時ころ42歳で死亡した。

(二) 病理解剖所見

甲野につき,平成元年11月25日午後3時50分から病理解剖が実施された。その病理学的所見によれば,甲野は,高血圧症,高脂血症,高尿酸血症,肥満等の動脈硬化症の危険・促進因子を有する者であるが,冠動脈粥状硬化症,左冠状動脈前下行枝起部急性心筋梗塞,心肥大(390g),左心室前壁内側瘢痕病巣(心筋梗塞によって壊死・変性した心筋細胞が消失して線維症として遺ったもの),大動脈粥状硬化症,急性うっ血性肺水腫(左500g,右670g),良性腎硬化症(腎臓に動脈硬化症がある。),脂肪肝(中等度)(1720g),前立腺肥大症等が認められ,全身の動脈硬化症が進行しており,とりわけ,冠状動脈の変化が強く,すべての冠状動脈に動脈粥状硬化症(内膜に脂肪が沈着することによって繊維と細胞の増殖が起こり,粥腫を形成する。)に基づく内腔狭窄がある上,走行蛇行(動脈硬化の進展に伴って始め直線的であった血管が次第に曲線的になることをいう。)及び強度の硬化(動脈硬化の直接的な変化で血管の弾力性が失われることをいう。)があった。特に左冠状動脈前下行枝起部にはカルシウムの沈着による多数の石灰化と新鮮な血栓が認められ(もっとも,その支配領域における明白な心筋壊死所見は光学顕微鏡上見い出せなかったが,これは梗塞発生前から死亡までの時間が約4時間半ときわめて短かったためとみられる。),左室前壁の梗塞を強く示唆する心電図上の変化,さらには急激な心機能低下を示す急性うっ血性肺水腫の存在から急性心筋梗塞により死亡したものと診断された。

なお,消化管,膵臓,胆嚢,甲状腺,副腎,骨髄,脾臓には特記すべき異常がなかった。

(〈証拠略〉)

三(ママ) 争点

本件の争点は,甲野の従事していた公務と急性心筋梗塞の発症との間に公務起因性が認められるか否かである。

1  被告の主張

(一) 公務起因性の認定基準

地方公務員災害補償制度において災害補償の対象となるのは,あくまで公務上の災害に限られるものであり,法31条及び42条における職員が公務上死亡した場合とは職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい,負傷又は疾病と公務との間に相当因果関係のあることが必要であり,負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない。そして,右の相当因果関係は,死亡の原因である負傷又は疾病につき公務に内在する危険が現実化したものと認められるか否かという点を基準に判断すべきものであり,具体的には,災害が発生した時点に立って,そこから過去に遡って客観的に災害を発生させる原因となり得た無数の原因(条件関係を有するもの)を抽出し,その原因の一つである公務のみに危険責任を負わせ,全損害の填補をさせることが相当かどうかという見地から判断することとなるが,その際,無数に存在する原因のうち,わずか一つである公務に100パーセントの危険責任を負担させるだけの合理性を担保するためには,少なくとも公務が災害を引き起こした他の要因との関係で相対的に有力な原因であったと評価することができることが必要である。特に,本件のような心疾患事案においては,高血圧症等の基礎疾患を有しているのが通常であり,そのような場合,発症に至らしめる原因は公務に限られるものではなく,他の諸々の要因によっても発症に至ると考えられるところである。このため,被災者の公務が血圧の変動に影響を与えることがあるとしても,その程度が例えば加齢とか一般生活等において生体が受ける通常の変化の範囲内であったとすれば,特に当該公務に危険が内在するものということはできず,そのような場合に被災者が発症したとしても,それはたまたま公務の機会に発症したものであり,公務に従事していたことが右疾病を引き起こす相対的に有力な原因であったとはいい難いため,相当因果関係は認められない。逆にいえば,公務が単に疾病の発症又は増悪の条件の一つに過ぎないような場合まで,これを公務に内在する各種の危険性の現実化として,地方公共団体の100パーセント負担に基づく公務災害補償の対象とすることは,災害補償制度の特質から考えて極めて不合理である。

そして,脳血管疾患及び虚血性心疾患等は,負傷に起因するものを除き,本来,業務に従事することによって直接的に発症するものではなく,基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤若しくは心筋変性等の基礎的病態が加齢とか一般生活等における諸々の発症要因により増悪して発症に至るものがほとんどであり,現在,国民の死亡原因の上位に位置し,国民生活上多数生じているいわゆる私病といえるものである。この点で,脳血管疾患及び虚血性心疾患等は,この点で特定の業務に従事する労働者においてその業務に常在する有害因子によって不可避的に発生すると認められる疾病(例えば,職業癌,鉛中毒,じん肺等)と異なるものであり,医学的にみても,血管病変等の形成に当たって業務が直接の発症原因となることはなく,脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症との間に医学的因果関係があるとされる特定の業務は認められていない。したがって,これらの疾病が仮に公務遂行中に発症したとしても,直ちに公務起因性が認められることにはならないところであって,公務特に過重な公務が通常は起こり得ない血圧変動や血管攣縮等を引き起こし,その結果,血管病変等がその自然経過(加齢,一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過をいう。)を超えて急激に著しく増悪し,脳血管疾患及び虚血性心疾患等を発症させるに至った場合でない限り,公務が相対的に有力な原因となってこれらの疾患を発症させたということができない。結局,これらの疾患が公務に起因するものとして認められるためには,使用者の支配下にあったことを単なる機会として発症したというだけでは足りず,発症自体が当該公務に従事していたことの必然的帰結として生じたものであるといえること,すなわち,公務に当該疾病を発生させる危険・有害因子が内包され,かつ,これが現実化したことを要するものである。

これを受けて,地方公務員災害補償制度上の公務上外の具体的な判断基準については,地方公務員災害補償基金理事長通達「公務上の災害の認定基準について」(昭和48年11月26日地基補第539号・第4次改正昭和61年1月27日地基補第8号)が発せられているが,労働災害補償保険制度との均衡を図る見地から,労働基準法(昭和22年法律第49号)75条2項に基づく同法施行規則別表第1の2(同規則35条関係)と同様の内容が定められているところ(地方公務員災害補償制度は,労働災害補償保険制度及び国家公務員災害補償制度と基本的性格が同一であり,右の各制度における業務又は公務と死亡との相当因果関係の有無については,統一的に解釈運用されなければならない。),同法施行規則は,業務上の疾病の範囲につき,〈1〉業務上の負傷に起因する疾病(1号),〈2〉特定の有害因子による疾病(2ないし8号),〈3〉その他業務に起因することの明らかな疾病(9号)の3種類を規定しており,本件における心筋梗塞といった虚血性心疾患については,右の〈3〉に該当するか否かという見地から因果関係の有無が問題とされているものであるが,前記地方公務員災害補償基金理事長通達でも,同法施行規則と同じ取扱いである。このため,虚血性心疾患の場合における具体的運用につき,地方公務員災害補償基金理事長通知(平成7年3月31日地基補第47号)では,心・血管疾患及び脳血管疾患に関し,公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾病と認定するためには,発症前に,業務に関連してその発生状態を時間的,場所的に明確にしうる異常な出来事に遭遇したことにより,又は通常の日常の業務(被災職員が占めていた職に割り当てられた職務のうち正規の勤務時間内に行う日常の業務をいう。以下同じ。)に比較して特に質的に若しくは量的に過重な業務に従事したことにより,医学経験則上,心・血管疾患及び脳血管疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をいわゆる自然的経過を超えて急激に著しく増悪させ,又は当該疾患の発症原因とするに足る強度の精神的又は肉体的負荷を受けていたことが必要であるとされるとともに,右にいう異常な出来事とは,強度の精神的,肉体的負荷を起こす可能性のある突発的で異常な出来事をいい,例えば,発症前に突発事故,暴風雨,洪水,土砂崩れ,地震等特異な事象に業務に関連して遭遇し,強度の驚愕,恐怖等を起こしたことが経験則上明らかな場合がこれに該当し,また,通常の日常の業務に比較して特に質的に若しくは量的に過重な業務とは,通常に割り当てられた業務内容等に比較して特に過重な業務をいい,例えば,(ア)日常に肉体労働を行わない職員が,勤務場所又はその施設等の火災等特別な事態が発生したことにより,特に過重な肉体労働を必要とする勤務を命ぜられ,当該業務を遂行した場合,(イ)業務上の必要により発症前に正規の勤務時間を超えて週数十時間にまで及ぶ過重な長時間勤務を1か月以上にもわたって行っていた場合等通常の日常の業務に比較して勤務時間及び業務量の面で特に過重な業務の遂行を余儀なくされた場合がこれに該当するとされる。なお,業務の過重性を判断するに際しては,(a)発症当日から直前までの勤務状況及び発症状況の詳細,(b)発症前1週間の勤務状況の詳細,(c)発症前1か月間の勤務状況の詳細,(d)発症前数か月間における勤務状況等を総合的に評価して判断することとされ,生体が過重負荷を受けてから心・血管疾患及び脳血管疾患の症状が顕在化するまでの時間的間隔が医学上妥当と認められることが必要であるとされる。したがって,素因・基礎疾患が重篤であった場合には日常生活においていついかなるときにおいても発症しえたというほかないため,公務に内在し,通常随伴する危険が現実化したということはできず,公務起因性が否定される。

(二) 本件事例

甲野は,前記のとおり,倉敷中央病院,倉敷平成病院(旧高尾内科小児科医院,旧高尾病院),水島協同病院等で受診してきたが,倉敷中央病院の診療録の昭和53年5月9日付け内科医メモには,「4月30日サッカー練習中,胸苦しくなり休もうとしたところ,急に頭がしめつけられるような感あり,30秒間程意識消失したことがあるそうです。」との記載があり,同じく,同日付け脳外科医メモには,「頭がしめつけられる感じは意識消失から回復した後は,感ぜず。吐き気は伴わなかった。運動,感覚障害はなかった。時々(年に1回)運動中,頭がしめつけられるような感じはあった。」との記載があり,旧高尾内科小児科の診療録の昭和61年11月27日欄には,心窩部に1週間前より圧迫感がある旨記載され,水島協同病院外来診療録の平成元年11月25日欄には,「胸苦・しめつけられるような痛みが過去何回もある。以前にもあった。」と記載され,同病院入院診療録・入院病歴総括では,「以前より運動後,4から5分位の胸痛は自覚していた。」と記載され,さらに,病理解剖所見記録の臨床経過の現病歴欄には,「以前より運動後,胸痛3から4分位」との記載がある。甲野におけるこれらの症状は心筋梗塞発作時の症状と酷似しており,剖検所見として認められた左心室前壁内側の瘢痕病巣からしても,甲野が過去に心筋梗塞を発症していたものである。

また,甲野は,昭和58年5月30日倉敷中央病院で受診した際,血圧について最高血圧が160mmHg,最低血圧が108mmHgで,高血圧症と診断されて以後平成元年11月まで血圧降下剤の投薬による継続的な治療を受けていたが,右期間中最低血圧値が正常値を示す時期と90から100の数値を示す時期が不規則に交互に到来しており,改善したとはいえる状況になかった。甲野の血液中の総コレステロール値は,昭和58年5月30日には241mg/dlと正常値上限(230mg/dl)を上回る数値が測定されたのを筆頭として,以後正常値と上限値を上回る値を反復した状態が繰り返され,同様にコレステロール値,中性脂肪(トリグリセライド)値及び尿酸値も正常値と上限値との間を行き来するような形で推移しており,高脂血症及び高尿酸血症との診断がなされ,以後継続的に治療がなされたが,右症状が改善することはなかった。

さらに,甲野は,肥満傾向にあると診断され,医師の継続的な栄養指導を伴う食事療法が採用されたが,一向に肥満傾向が改善することはなかった。また,甲野は,昭和58年から平成元年の間,途中禁煙をしたことはあったが,死亡当時喫煙を継続していた。甲野の父親は心筋梗塞に,母親は脳梗塞にそれぞれ罹患している。

このように,甲野は,心筋梗塞発症を招いた動脈硬化症の有力な危険・促進因子である高血圧症,高脂血症及び高尿酸血症のいずれにも罹患していたものであり,肥満,喫煙,家族病歴とあいまって若くして心筋梗塞を発症するだけの基礎疾患を有していたものであり,同人が高脂血症と診断された昭和61年9月27日ころには,冠状動脈硬化はかなり重篤であり,いつ心筋梗塞が発症してもおかしくない状態にあった。

他方,甲野の勤務実態に着目すると,倉敷市役所下水道局下水建設部建設一課管きょ一係で係長を勤めることとなった昭和62年4月以降の勤務は,午前8時30分から午後5時までの勤務(昼の休憩時間は午後0時15分から午後1時まで)を基本とし,時間外勤務にも従事したが,時間外勤務が多く激務であったとするだけの的確な裏付けがなく,この間の勤務内容が他の同僚労働者の勤務内容と比較して特に過重であったといえるまでの事情も認められない。かえって,甲野が死亡した平成元年に入ってからは,係長としてのスケジュールをこなしながら,適度に休暇(年休,週休)をとり,余暇を利用しながら公務と家庭生活を両立させていたものであり,特に,1週間前には京都へ1泊2日の職場旅行へ行ったり,被災前々日から前日にかけては職場の同僚と宿泊付きで小豆島へ釣旅行に出かけたりするなどしており,被災1か月前及び1週間前の勤務状況につき格別変わった事情は認められず,甲野の勤務実態が特に過重であったとはいえない。

なお,過度の労務による肉体的・精神的疲労に起因するストレスが動脈硬化症の有力な危険・促進因子となり,ひいては心筋梗塞を招くかどうかについては,医学的に定説をみないものであり,甲野の勤務実態と心筋梗塞発症との間の関連は認め難い。

結局,本件は,甲野が素因として有していた高血圧症,高脂血症,高尿酸血症といった基礎的疾患により動脈硬化症が進行し,これに肥満,喫煙や家族病歴といった多種の危険・促進因子が作用してその自然的経過により急性心筋梗塞を発症し,死亡するに至ったというべきであり,甲野の従事していた公務が相対的に有力な原因として急性心筋梗塞の発症を招いたものでないから,公務上の災害であるとはいえない。

2  原告の反論

(一) 公務起因性の認定基準

地方公務員災害補償の対象となる公務上の死亡といえるためには,死亡と公務との間に相当因果関係が認められることが必要であるが,そのために疾病の発症につき複数ある原因のうち公務が相対的に有力な原因である必要はないというべきであり,公務が他の原因と共働して災害を引き起こしている以上,相当因果関係の成立を妨げないものでない。

被告主張の行政基準は,発症前における一定期間内に限定してその期間内に公務と疾病との間に医学上の繋がりのある場合に始めて相当因果関係を認めようとするものであるが,過重負荷労働の対象期間を1週間内に限定することには医学的根拠がない上,因果関係の有無の判断が法律判断であることからすると,このような医学的な証明を求めることには疑問のあるところであるから,この行政基準にとらわれることなく,今日の社会保障法としての特質を有する,労働災害補償保険法,地方公務員災害補償法等の目的・趣旨を斟酌した上,公務と発症との間の因果関係について医学的な証明を要求することなく,労働災害補償の対象を広く解するべきであり,被災者に基礎疾病が存する場合でも,公務によって発病の促進や増悪が認められるならば相当因果関係の存在を認めるべきである。その場合,〈1〉公務が内因を有する個体にとって過重・有害でなかったかどうか,〈2〉発病それ自体につき内因の発現としての公務起因性が否定されても,その後の発病の促進や増悪につき,特殊な環境や不良な条件による業務の継続あるいは使用者の適切な事後措置の懈怠によって迅速かつ適切な治療機会が奪われていないかどうか,〈3〉内因を有する者に対し,使用者が適切な健康管理上の配慮を行ったかどうか,といった事情が総合的に考慮されるべきである。長期間にわたる過労やストレスも,虚血性心疾患の原因となりうるものである。

(二) 本件事例

倉敷市土木部土木課時代は,結婚当時から多忙で残業も多く,特に会計検査の際には甚だしかったが,児島支所工務課時代,仕事自体は忙しかったものの,土木課時代に比べ残業は少なくなり,趣味のサッカーの試合にもよく出場し,健康状態には問題がなかった。

ところが,甲野は,岡山地方振興局児島湖流域浄水事務所出向当時,工務課第一係係員(主任)として,主に児島湖流域下水道の幹線管渠築造工事に従事したが,倉敷市の下水道普及率が全国的にみて相当遅れていたこともあって,当時進められていた児島湖流域浄水事業の早期完成は重要課題として位置付けられており,前記のとおり大規模なプロジェクトであるため,担当者の責任も重く,残業も多いため,このころから疲労とストレスの蓄積を訴え,体重も増加傾向にあった。このころの所定労働時間は月曜日から金曜日までが午前8時30分から午後5時15分(昼休み45分実働8時間),土曜日が午前8時30分から午後0時30分(隔週勤務実働4時間)であったが,岡山県にとって最初の流域下水道事業だったことからノウハウの蓄積に乏しく,多くの時間と労力を費やしたこと,係員数に比べて事業量が多く,特にシールド工法や立坑という一般土木工事で用いない特殊工法を用いるため工事自体が複雑であること(大工事起工前には数週間にわたりほぼ毎日残業することが多かった。),岡山市内からの下水について平成元年3月の一部供用開始の締め切りを控えていたこと,及び,下水道事業に対する付近住民の抵抗感や対象土地が軟弱地盤であることによる影響から生ずる苦情への対応に苦慮していたことなどの事情から超過勤務を余儀なくされることが多かった。その結果,下水道の整備につれ残業時間が多くなり,このため,このころから,休日に趣味のサッカーの試合に出場することが少なくなっていった。そして,右の出向期間は2年間の予定であったが,甲野の場合例外として3年に延長されたため,疲労の蓄積に拍車をかける結果になった。

また,甲野は,倉敷市役所に戻ってからは下水道局下水建設部建設一課管きょ一係係長を勤めることとなったが,係長の立場上,仕事量も軽減することがなく,かえって仕事の質量ともに増加していた。倉敷市における下水道普及率が全国的にも低く,市側にとっても住民にとっても下水道普及が焦眉の課題であったため,係長としての甲野の責任はより過大なものとなり,目標達成のための時間外の勤務,上司と部下の調整,地域住民の苦情への対処により肉体的精神的疲労が増大蓄積された。所定労働時間は月曜日から金曜日までが午前8時30分から午後5時(昼休み45分実働7時間45分),土曜日が午前8時30分から正午(隔週勤務実働3時間30分)であったが,毎日のように残業が続き,午前0時を過ぎることもしばしばであって,土曜が休業のときでも,土曜日曜の2日間連続で休めることはあまりなかった。当時,各係は,設計から施工管理までを担当していたが,甲野が所属する一係は,倉敷地区と児島地区を担当しており,同人の下に5,6名の技師が所属し,管きょ一係の責任者として事務全般の管理監督を分担していた。倉敷市では遅れている下水道の普及率の向上のため年々投資を増やし,管渠事業費は年々増加していった一方で,担当職員自体はわずかに増員したに過ぎず,甲野ら下水道建設一課職員は残業しても仕事を処理しきれない状態にあった。それでも,仕事量は年々増加する傾向にあり,下水道普及率が上昇するにつれ,職員1人当たりの月間平均残業時間は増加した。仕事内容自体も,施工業者入札の前提としての機材・資材の積算及び設計図書作成,地元説明会への出席,工事中の現場監督,工事開始後の地元住民による騒音,振動,通行についての苦情への対応・補償交渉等,業務自体が多岐にわたるのみならず,下水道普及事業推進の要請を受けて事業内容は拡大したのにもかかわらず,担当職員は若干名増員されたに過ぎなかったこと,工事が昼間に行われる関係で設計等の作業が必然的に残業によって処理せざるを得なくなり,甲野は,係長として係所属の技師の職務を監督する立場から残業をともにしながら業務に従事していたこと,甲野が所属していた一係は工法として難易度が高く,規模の大きいシールド工法による工事を実施していたこともあり,工事自体神経を使うことが多かったことなども影響し,甲野自身の几帳面な性格もあって,甲野の公務は過重なものとならざるを得なかった。さらに,甲野は,平成元年4月には,倉敷市第4次総合計画策定研究班に任命され,倉敷市政の基本構想の策定に関与するようになったことに加えて,同年10月ころから,翌平成2年2月に実施される予定の会計検査に備えて準備を行っており,管きょ一係係長としての本来の業務以外での負担が増えたために,平成元年4月以降公務が一層過重なものとなった。甲野の公務の内容が次第に過重になっていったのに並行して,次第に甲野の血圧及び総コレステロール値も上昇し,不整脈と狭心症を推測させる症状も発現し,疲労感を訴えることが多くなるようになり,平成元年4月の人間ドックにおける検査では,初めて要治療との診断を受けるまでに至るなど,公務が過重になっていくのに比例するように,甲野の健康状態も悪化していった。

このように,甲野は,数年間にわたる過重労働と健康状態の悪化とが相関関係を示しているところへ,平成元年春ころから治療を要する状態になったにもかかわらず公務上の負担が増加したことにより42歳という若さで死亡するに至ったものであり,その最大の原因が過重労働にあることは明白である。本件の場合,基礎疾患と慢性蓄積疲労とが競合することにより甲野をして心筋梗塞に至らせたものであるから,まさに過重な公務が自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させた,あるいは過重な公務がなければ基礎疾患が増悪しなかったという意味で,公務に内在する危険が現実化したものであり,公務起因性のあることが明らかである。

第三争点に対する判断

一  公務起因性の認定基準について

法に基づく補償は,地方公務員が公務の遂行上被った災害(負傷,疾病,障害又は死亡)に対して行われるものであって(法1条),右の公務災害のうち公務上の死亡とは,地方公務員が公務の遂行に当たり公務に基づく負傷又は疾病(以下「傷病」という。)に起因して死亡した場合をいい,右傷病と公務との間に相当因果関係が認められることが必要である。そして,使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務を提供させるという労働関係の特質からすれば,公務の場合にも,当該公務に内在する危険が現実化したことにより地方公務員に右の傷病が発生した場合に地方公共団体に無過失の補償責任としての災害補償責任が生じるというべきであり(危険責任の法理),相当因果関係の有無は,右の見地から医学的知見等の科学的知識に基づき経験則に照らし死亡の原因である傷病が当該公務に内在する危険が現実化したものであるか否かによってこれを決すべきものと認める。

そこで,いかなる場合に,傷病が公務に内在する危険の現実化したものとみられるか,とりわけ,複数の原因が競合して発症したと考えられる心筋梗塞のような虚血性心疾患による死亡の場合にどのような条件関係の下で公務起因性を認めることができるかであるが,この点については,前記第2事案の概要に記載したとおり,労働災害補償保険に関し,平成7年2月労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成7年2月1日基発第38号)が発せられ,地方公務員災害補償においても,右の労働災害補償保険における認定基準の内容に準じ,同年3月地方公務員災害補償基金理事長通知「心・血管疾患及び脳血管疾患等業務関連疾患の公務上災害の認定について」(平成7年3月31日地基補第47号)が発せられ,地方公務員災害補償制度については,現在右の認定基準により運用されているところであり(この点は争いのない事実である。),この行政基準は,現時点での医学的知見に基づいて定められた認定基準であって,医学的水準に沿った一応合理性のある認定基準というべきであるから,これに照らして公務起因性が肯定される場合には傷病が公務に内在する危険が現実化したものとして地方公務員災害補償の対象となりうるというべきである。しかしながら,本件のように,急性心筋梗塞が慢性的経過によって発症,増悪した冠動脈硬化症の終末疾患であり,現在の医学的知見に照らし冠動脈硬化症が高血圧症その他の基礎疾患を始めとする内的要因に過度の精神的身体的負担といった外的要因も直接又は間接に生体に対して相乗的に作用することによって発症,増悪すると考えられる疾患であることからすると,前述の行政基準に該当しないからといって直ちに公務起因性を否定するのは相当でなく,公務上の過重負担が当該地方公務員に対し長期間にわたり右に述べる過度の精神的身体的負担をもたらしており,冠動脈硬化症の病因及び病態生理並びに当該地方公務員の症状の経過等からして公務の遂行が急性心筋梗塞の発症及び増悪と密接な関連を有すると認められたときは,公務起因性を肯定するのが相当である。けだし,諸般の事情からみて公務の遂行と死亡原因となった疾病の発症及び増悪との間における原因結果の関係を否定できないために公務の遂行も競合する複数の原因事情の一つであると認められる場合に,公務の遂行が複数ある原因事情の中で相対的に有力なものであるか否かといった見地から当該疾病につき地方公務員災害補償の対象となる災害であるか否かを判断することは,現在の医学的知見からして必ずしも容易でないため,右の認定判断の適正さを確保することに困難を伴うばかりでなく,地方公務員災害補償制度が地方公共団体の拠出する基金によって所属公務員が公務の遂行に当たり被った災害につき原則として公務員側の過失の有無・割合といった原因事情を問うことなく補償を与えることによって地方公務員が安んじて公務を遂行することを可能とならしめようとした目的・趣旨からすると,当該疾病が公務の遂行と密接な関連を有して発症,増悪したと認められる以上,当該地方公務員においてことさら当該疾病の発症及び増悪を回避することを怠った,あるいは,容易に当該疾病の発症及び増悪を回避することができたのにこれを怠ったといえる特段の事情のない限り(法30条参照),公務に内在する危険が現実化したものとして,当該疾病を地方公務員災害補償の対象とするのが相当であるからである。そして,右にいう死亡原因となった疾病の発生及び増悪が公務の遂行と密接な関連を有するか否かの判断に当たっては,当該疾病の病因及び病態生理に関する医学的知見を基礎としながら,公務の内容・性質からみた困難さの度合い並びに公務の繁閑の程度及びその期間等の諸事情からみて,地方公務員にとって公務の遂行による精神的身体的負担が公務において通常予定されている負担の程度を著しく超えるものであったか否かをその年齢を含む心身の常況等との関連で判断すべきものであり,当該地方公務員にとってその精神的身体的負担が右に述べる程度を著しく超えるものであったと認められるときは,公務の遂行と疾病の発症及び増悪との間に経験則上密接な関連があるものとして,公務起因性を肯定するのが相当である。

二  本件における公務起因性について

1  甲野が従事した公務の内容及び状況並びにその当時における同人の心身の常況等について,前記争いのない事実に加え,(証拠・人証略)並びに弁論の全趣旨(なお,前掲各証拠中後記認定に反する部分は採用しない。),以下の事実が認められ,他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 倉敷市建設局土木部土木課及び児島支所工務課時代(昭和47年5月から昭和59年3月までの期間)

甲野は,倉敷市技術職員として採用され,昭和47年5月1日から4年5か月間建設局土木部土木課に,昭和51年10月1日から4年6か月間同局管理部施設課に,昭和56年4月1日から3年間児島支所工務課にそれぞれ勤務していたが,この期間中における甲野の公務は,格別過重なものではなく,通常の範囲内のものであった(なお,〈証拠略〉によると,甲野は,倉敷市建設局土木部土木課在任中,結婚当時から忙しく残業が多かったとされているけれども,この時期は,甲野にとって仕事を覚えなければならない時期であった上,同人の年齢などを考慮すると,残業が重なったからといって,これが直ちに過重な負担であったということはできない。)。

しかし,甲野は,前記のとおり,この期間中,既に昭和58年5月30日に高血圧症の診断を受けて以来継続的に1か月に2,3回の頻度により倉敷中央病院で受診し,当時まだ30歳から36歳という若さであったが,高血圧症,高尿酸血症(昭和59年2月1日診断),筋緊張性頭痛(同日診断)の病名で治療を受けており,昭和53年5月9日には担当医に対し,10日前の同年4月30日サッカー練習中に胸苦しくなり休もうとしたところ,急に頭がしめつけられるような感があり,30秒間程意識消失した旨訴えたほか,時々(年に1回)運動中,頭がしめつけられるような感じがあるとも訴えていることから明らかなように,身体の異常を訴えていたものである(もっとも,右の症状が動脈硬化症といった循環器系疾患に由来する症状であったとは認め難い。)。そして,同年5月30日に倉敷中央病院で受診した際における血圧値は,最高血圧160mmHg,最低血圧108mmHgであり,以来最高血圧値が150mmHgを超えることも少なくなく,テニス,サッカー等のスポーツを楽しむ傍ら,血圧降下剤の投薬による継続的な治療を受けていた。なお,血液中の総コレステロール値も,前同日の検査によると,241mg/dlと正常値上限(230mg/dl)を上回る数値であった。

(二) 岡山地方振興局児島湖流域浄水事務所時代(昭和59年4月から昭和62年3月までの期間)

甲野は,昭和59年4月1日から3年間岡山県に出向し(その期間は,当初2年間の予定とされていたところ,1年間延長され,3年となった。),児島湖流域浄水事務所工務課第一係で主に児島湖流域浄水事業の一環である児島湖流域下水道工事のうち幹線管渠築造工事を担当した。右の幹線管渠築造工事では,将来下水道の管渠となるシールドトンネルの1次及び2次覆工,小口径推進工事,トンネル工事の発進,到達基地となる立坑工事を施工するほか,トンネル工事や立坑工事で予想される事故を未然に防止するための各種補助工事があり,そのほかにも児島湖流域下水道の受入れに際して地元から提示された条件に対処するため,各種の周辺整備事業や地元住民の理解を得るための各種の啓蒙活動が行われた。当時,前記児島湖流域浄水事業が岡山県にとって最初の流域下水道事業であったことから,ノウハウの蓄積に乏しく,多くの時間と労力を費やす必要があったところ,職員数(工務課第一係では係長以下3名の係員がいた。)に比較して事業量が多い上,採用されたシールド工法(立坑を掘って,掘削機を設置し,これを操作しながら穴を掘り進み,堀(ママ)り取った土砂をトロッコ等で搬出し,掘り進むに従って穴に鉄製の枠(輪)を据え付けていき,枠の内側と外側をコンクリートで固め,下水管にするという工法である。)による工事が開削工法(重機で地上から穴を掘っていき,地上から穴の中に下水管を降ろして埋設する方法をいう。)や推進工法(立坑を掘ってそこに駆動装置を設置して先導管を駆動装置で土中に押し込んでいって穴を掘り進み,掘り進むにしたがって順次布設管を押し込んで下水管をつなぐ方法をいう。)による工事と異なり,大規模な工事であり,立坑という一般土木工事で用いない特殊工法を用いるため,工事自体も複雑であったし,安全面での配慮も重要であったことから,甲野は,時間外勤務で業務を処理することを余儀なくされた。加えて,岡山市内から流れてくる下水の一部供用開始時期が平成元年3月と期限が迫っていたことから,数週間単位で午後9時ころから午後10時ころまで残業が行われた。ここでの甲野の所定労働時間は,月曜日から金曜日までが午前8時30分から午後5時15分まで,土曜日が隔週勤務で午前8時30分から午後0時30分までであったが,片道約30キロメートルあり,通勤に時間を要することもあって,帰宅時間が深夜にわたることも少なくなかった。また,実施を控えた工事について地元住民の理解を求めるために地元説明会に出席しても,下水道事業そのものに対して強い抵抗感を抱いている住民が多いことに加え,工事対象地域が全国でも有数の軟弱地盤地帯であるため,工事に対する不安や不満を有する住民が少なくなく,周辺家屋に対する補償交渉が円滑に進んでいなかったこともあって,地元住民の理解を得ることは甲野を始めとする工務課一係の職員にとって厳しくかつ困難な事柄であり,大きな精神的負担となった。

他方,甲野は,この期間中も,引き続き倉敷中央病院,旧高尾内科小児科医院,水島協同病院で継続的に受診しており,少し頻度は少なくなったものの1か月に1,2回の頻度で受診し,高血圧症,高尿酸血症,高脂血症(昭和61年9月27日診断)等の病名により投薬治療を受けており,受診時における血圧測定によると最高血圧値150mmHg以上であることも34回中10回を超え,また,最低血圧値95mmHg以上であることも同様の頻度であり,その間昭和61年11月27日には心窩部に1週間前より圧迫感がある旨訴えたこともあり,その際測定された血圧値は最高血圧値144mmHg,最低血圧値104mmHgであった。

(三) 倉敷市下水道局下水建設部建設一課時代(昭和62年4月から平成元年11月までの期間)

甲野は,昭和62年4月になって,倉敷市役所に戻り,下水道局建設部建設一課で管きょ一係長として管理監督事務及び対外的折衝調整事務を分掌した。各管きょ係における職務分担は,係所属の7名前後の技師が建設部下水計画課が立てた下水道の建設計画に基づいて4係からなる管きょ係に割り当てられた管渠埋設区間を分担し,担当技師において担当工区の委託設計書を作成し,これによって入札を行い,設計コンサルタントを決めると,設計コンサルタントの作成した実施図面に基づきさらに設計図書(内訳書,設計図面,単価表,数量計算書)を作成し,入札を行って工事施工業者を決定し,地元説明を経て,着工に至り,完成すると竣工検査がなされるというものであった。設計図書に要する作成期間は,工区及び工法によって異なり,簡単なもので1週間,複雑なものにあっては半年くらいを要した。その年間の業務実施状況は,おおむね4月ころから5月ころまでが国庫補助事業にかかる工事の設計図書の作成,7月ころから8月ころが現場工事施工,9月ころ以降単独事業にかかる工事の設計図書の作成,1,2月ころ工事変更図書の作成であった。

甲野が建設一課に在職していた当時,倉敷市では全国的にも遅れている下水道普及のために管渠事業費を年々増やしており,建設一課で執行する管渠事業費についてみると,昭和62年度63億9668万円,昭和63年65億7547万円,平成元年度81億6981万円と逐年増加し,管きょ一係についてみると,昭和62年度18億8007万円,昭和63年度16億9756万円,平成元年度17億5075万円であった。しかし,同課所属の職員数は,昭和62年度の34名から平成元年度の35名に増加するに止まったことにより(管きょ一係は変更がない。),予算額及び事業量が増えるにつれ,繁忙さが加わり,1人当たり残業時間が増加し,最も残業時間の多い技師の場合,昭和62年の場合1か月平均57.5時間であったものが,平成元年の場合1か月平均66.9時間であった(昭和63年度1か月平均73時間)。所定労働時間は,月曜日から金曜日までが午前8時30分から午後5時(昼休みは午後0時15分から午後1時までの45分),土曜日が午前8時30分から正午までであったが,管きょ一係では,実施する工事の規模が大きく,複雑なシールド工法を多く採用していたことから,設計図書作成に多くの時間を要したほか,昼間は施工監理のため現場に赴くことから,夜間に設計図書作成を行わざるを得なくなり,時間外勤務が多くなった。また,工事が現実に開始されると安全性の見地から設計を見直さなければならない事態も少なからず生じた。甲野自身も係長として管きょ一係の事務全般の管理監督を行う立場上から,その業務内容は,本来技師の分担である設計図書の作成から現場工事の施工監理まで事務全般に及んだだけでなく,現地における説明会,補償交渉,苦情処理などの地元対策を含む対外的な折衝及び調整にわたる事項にすべて関与し,時間外勤務は深夜休日の長時間にわたることが少なくなかった。特に,現場施工の段階で生じる設計変更の問題や地元住民からの苦情処理問題は,甲野が中心となって処理したが,施工業者及び住民との関係で極めて精神的負担の多い業務であった。このため,甲野の帰宅時刻が午後10時を過ぎることも多かった。そうしたなかで,特に2年に一度行われる会計検査院による会計検査に際しては,その準備のため,時間外勤務が大幅に増大し,繁忙を極めた(昭和62年2月には管きょ一係技師5名の残業時間が平均149時間であることからして,甲野の場合も,右の残業時間と大きな差異のない程度の残業をしていたものとみられる。)。

また,甲野は,平成元年4月市長から倉敷市第4次総合計画策定のための研究班員12名のうちの1名に指名され,それ以来毎月数回にわたり合同会議及び部会における討議等を通じて死亡前日の同年11月24日まで基本構想の立案策定作業に従事した。

もっとも,甲野が死亡した平成元年11月から遡る同年9月以降の3か月間においては,体調不良が見られ,総残業時間は150.4時間となり,1か月平均53.7時間(残業日数7割,勤務1日平均3.2時間)であって,従前に比べれば減少した。しかし,同年10月ころからは,翌平成2年2月に実施される予定の会計検査に備え,工程表を作成するなど準備を始め,負担が増えつつあった。その間退庁時刻が午後9時以降に及んだ日数は17日であり,最も遅い退庁時刻は午後12時であった。他方,この期間中の甲野の休暇の取得状況は,本来の勤務すべき日数(9月が22日,10月が24日,11月が18日(11月24日まで)。)に対し,9月が1回の3時間45分,10月が3回の2日であった。さらに,死亡前1か月間においても,10月25日は終日工事現場立会をし,同月26日は風邪で午後一杯年次休暇をとり,翌同月27日も午前中風邪で年次休暇をとり,11月30日は事務連絡で県庁へ出張し,翌同月31日は通常勤務であったし,同月2日午後4時から5時30分まで西中新田で工事説明をし,同月7日午前10時30分から12時まで羽島で工事説明をし,同月13日午前9時30分から12時まで平成2年度箇所付説明をし,同月24日午前9時からの12時まで西中新田で工事竣工検査に立会し,同日午後2時30分から4時まで総合計画策定会議に出席したが,それ以外は,通常の内勤勤務であった。死亡前の1週間は,11月18日(土曜日)午前中に通常業務をこなした後,倉敷市役所下水道局下水建設一課の親睦旅行で京都へ行き,京都市内を観光して1泊後,翌同月19日午後6時30分に倉敷市役所に到着解散した。そして,11月20日,21日,22日とも庁内で通常の業務を行い(退庁時刻は,20日が午後10時23分,21日が午後9時14分である。),22日午後5時に業務を終えると,小豆島へ釣り旅行に出かけて1泊後,翌同月23日午前中釣りを楽しみ,午後6時20分に倉敷市役所に到着解散した。死亡前日の11月24日は,平常どおり,午前8時30分から通常業務を開始し,午前9時から12時まで西中新田地内で工事の竣工検査に立会い,甲野自らマンホールに入るなど検査業務に従事した。その後午前12時ころから昼食休憩をとり,午後1時から2時30分まで通常業務を行った後に,2時30分から4時まで総合計画策定会議に出席し,午後4時から通常業務を行い,午後8時12分ころ退庁し,帰宅の途についたが,その後水島協同病院で受診するまでの動向は不明である。

ちなみに,平成元年分における甲野の時間外勤務の一部によると,4月9日(日曜日)午前9時から午後12時まで現地協議,4月28日(金曜日)午後6時30分から午後9時30分まで現地説明会,5月21日(日曜日)午前9時から午後0時30分まで現地事務連絡,5月28日(日曜日)午後6時から午後9時まで現地説明会,6月11日(日曜日)午前8時30分から午前12時まで現地協議,6月23日(金曜日)午後5時から午後8時30分まで現地協議,6月30日(金曜日)午後5時から9時まで現地説明会,7月5日(水曜日)午後6時から午後9時まで現地説明会,7月14日(金曜日)午後6時から午後9時まで現地説明会,8月2日(水曜日)午後6時から午後9時まで現地協議,8月3日(木曜日)午後6時から午後9時30分まで現地協議,10月16日(月曜日)午後5時30分から午後9時まで現場説明会がそれぞれ行われており,1か月に2回程度の割合で休日夜間における現地での協議や説明が行われた。

なお,上記期間中の甲野の休暇の取得状況は,昭和62年が年次休暇19回の12日5時間30分,特別休暇7回の6日,昭和63年が年次休暇24回の14日6時間,特別休暇7回の5日7時間,平成元年(8月まで)が年次休暇30回の15日4時間15分,特別休暇8回の8日3時間15分であり,年次休暇の場合,法定日数の半分程度の消化率であった。甲野は,平成元年には,趣味のサッカーに参加したほか,ゴルフをし,ハチ北高原スキー場でスキーをし,シンガポール旅行,小豆島旅行に出掛け,音楽鑑賞をするなどの余暇活動もしている。

ところで,この期間中における甲野の心身の常況について,甲野は,引き続き1か月に2,3回の頻度で倉敷平成病院(旧高尾内科小児科医院,旧高尾病院),水島協同病院に通院しており,前記期間と同様の病名で投薬治療を受けており,その間に受診時における血圧測定では,最高血圧値150mmHg以上であることが25回を超え,また,最低血圧値100mmHg以上であることも20回に及び,死亡1か月前の平成元年10月27日には最高血圧値172mmHg,最低血圧値106mmHgであった。その間,昭和62年8月4,5日及び昭和63年2月3日には心電図上心室性期外収縮,上室性期外収縮が認められた。甲野は,担当医に対して,平成元年3月25日の受診時には仕事が忙しく,睡眠時間が4,5時間であると訴え,同年6月9日に最近仕事が少し楽になったとしていたが,同年8月29日には再び少し疲れ気味であると訴え,死亡直前においては,胸の苦しみ,しめつけられるような痛みが過去何回もあったことを訴えた。甲野は,平成元年4月21日の人間ドックの検査で,治療を要する状態と診断されている。

甲野は,診療期間全般を通じて,総コレステロール値,中性脂肪値が高い傾向にあり,正常値(総コレステロール値については110mg/dlから230mg/dl,中性脂肪値については30mg/dlから130mg/dl。以下数値のみ記載。)を超える検査結果が相当の頻度で出ていた。すなわち,総コレステロール値については,昭和58年5月30日の初診時に241,以後258,259,259,255,248,292,269,270,245,274,277と21回の検査のうち12回にも及び,特に,中性脂肪については,初診時に217,以後137,173,261,236,246,184,278,238,471,232,316,293,193,367,266,176,137,244となっており,21回の検査のうち19回にも及び,しかも,上限を大幅に上回っている。甲野は,昭和61年9月9日には水島協同病院での人間ドックで,同年9月27日には高尾内科小児科医院で,それぞれ高脂血症と診断されている。このため,食事療法と運動指導がなされていたが,初診時以降昭和59年初頭まで一時的に改善したものの,以後全体的には総コレステロール値及び中性脂肪値ともに高く,高脂血症が完治したということはなく,高脂血症は死亡当時まで基礎疾患であったものである。血中の尿酸の正常値は,男性は3.1mg/dlから6.8mg/dl(以下数値のみ。)であるが,この正常値を超える尿酸値が,昭和58年5月30日の初診時に9.3,以後7.7,6.9,7.4,7.9,7.0,7.6,7.3,8.8,7.1,7.8,8.3,8.4,7.1と,22回の検査のうち14回に及んで測定されており,昭和59年2月1日には高尿酸血症と診断されている。高尿酸血症に対しても,投薬療法が施されたが,正常化か否かを反復する経過をたどっており,全体としてみればこれも改善したものとはいえず,死亡当時まで基礎疾患であった。そして,不規則な生活による食事内容と多忙による運動不足から,体重は増加傾向にあり,死亡時の肥満度は15.8パーセントであった。このため,昭和61年8月,昭和62年11月,昭和63年3月,同年7月以降継続的に主治医から規則正しい生活をするように指導されている。その間,総コレステロール値,中性脂肪値さらに尿酸値は,互いに関連性をもちながら上昇していった。なお,甲野は,喫煙者であったが,喫煙本数は1日20本以下であり,格別多い数量ではなかった。

2  右に認定した甲野の従事した公務の内容・性質並びにその心身の常況等を要約するならば,甲野が昭和59年4月以降死亡前までの5年8か月間に岡山地方振興局児島湖流域浄水事務所及び倉敷市下水道局下水建設部建設一課で従事した公務の内容は,その性格自体,技術職の職員としての専門知識経験を要求される難易度の高い職務であるとともに,後半の建設一課における2年8か月間においては,係長として組織管理事務全般及び対外的折衝調整事務が付加されたことにより公務の困難性がさらに増加し,その中での長期間にわたる日常的な超過勤務状態とりわけ深夜休日に及ぶ現地での説明会,補償交渉,苦情処理等の対外的折衝調整事務は,甲野において平成元年3月25日の受診時に担当医に対して仕事が忙しく,睡眠時間が4,5時間であると訴えていることから明らかなように,甲野の心身に対して強い負担を課し続けてきたとみられるところ,他方,甲野は,前記のとおり昭和58年5月以来継続的に1か月に1,2回から2,3回の頻度で医療機関を受診し,高血圧症,高脂血症,高尿酸血症等の病名により投薬治療を受けていたものであり,それにもかかわらず,建設一課に勤務するようになると,受診時における血圧値が最高血圧値150mmHg以上,最低血圧値100mmHg以上であることが以前にも増して格段に多くなり,特に死亡前3か月間における血圧値に着目すると,最高血圧値はすべて160mmHgを超え,最低血圧値も10月21日の94mmHgを除き,100mmHgを超える水準で推移していたものであり,甲野の高血圧症は,若年であるにもかかわらず長年にわたる投薬治療に十分反応していないことに加えて,その間コレステロール値や中性脂肪値が正常値を大幅に上回る状態が長期間継続し,高脂血症,高尿酸血症が一向に改善までに至らず,むしろ建設一課に勤務するようになって以来次第に危険な領域に入って行っていたことが明らかであり,このため,甲野が死亡直前に過去何回もしめつけられるような胸痛(運動後に3分から4分くらい胸痛が継続した。)を経験している旨訴えていることから明らかなように,甲野の健康状態は,既に冠動脈硬化症の進行により次第に前述のような公務の過重さに耐え難い状態になっていたものと認められる。甲野は,このような心身の常況の下で,前記のとおり夜間休日勤務を含む長時間の超過勤務を5年数か月長期間にわたって継続していたものであり,このような公務の過重さが若年ながら高血圧症,高脂血症,高尿酸血症等に悩まされる甲野をしてその治療上必要な食事,運動,休養,睡眠といった生活面全般における規則的かつ正常な生活を保持することを著しく困難にならしめた上,右の基礎疾患とあいまって同人の死亡原因となった心筋梗塞の前駆疾患である冠状動脈硬化症を発症,増悪させる要因として作用したであろうことは推認するに難くないところであり,冠状動脈硬化症の病因及び病理・病態に関する前記医学的知見並びに甲野の前記症状の経過等に照らすならば,経験則上公務の遂行が冠状動脈硬化の発症及び増悪さらにはその終末像である心筋梗塞の発症及び増悪に密接に関連しているものと認めるのが相当であるから(なお,病理解剖所見において以前よりみられた運動後における胸痛の継続が心筋梗塞発作時の症状と酷似している上,左心室前壁内側に心筋梗塞の瘢痕病巣が認められたことからして,甲野が過去に心筋梗塞を発症していたと推認することは容易であるとされているところであり,同人がこのような健康状態にありながら,前記のとおり公務において通常予定する程度を著しく超える勤務を継続していることからすれば,同人の死亡する数か月以上前における5年を超える長期間にわたる継続的な公務上の負担の過重さと冠動脈硬化症の発症及び増悪の密接関連性は否定できないというべきである。),そうであれば,心筋梗塞をもたらした冠状動脈硬化の基礎疾患とされる高血圧症,高脂血症,高尿酸血症等の発症それ自体は,公務の遂行に由来するものでなく,甲野の食事,運動,睡眠,喫煙といった生活習慣や家族病歴から明らかな遺伝的・体質的要因によって左右されるものであり,なお,死亡する数か月間にあっては従前ほどは繁忙でない勤務状態であったとしても,公務起因性を肯定するのが相当である。

3  以上によれば,甲野の急性心筋梗塞による死亡と同人が従事していた公務との間には相当因果関係があるというべきであるから,その公務起因性を否定した本件処分は違法であることを免れないというべきである。

第四結論

よって,原告の請求は理由があるから,これを認容し,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邉温 裁判官 酒井良介 裁判官 石村智)

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